
以前のブログで書いた文章のリクエストをいただき、先日もアップさせていただきました。すると、他も見たいとのお声を頂戴しましたので、これからも時々、掲載させていただきます。
今回は、昭和末期の反社会勢力らしき人物が経営していたゲームセンターのお話でして、どうしようもなく暇な時間があった時にでも、お読みいただけたら幸いです。

80年代後半、私は東京23区でもとりわけ異様な土地柄と思われていた地域で暮らす中学生で、ゲームセンターのアーケードゲームに夢中になっておりました。
私の行きつけは、潰れたボウリング場の1階フロアに筐体が乱雑にいくつも置かれ、清潔感とは真逆を行く廃墟のような空間でした。それでも、わざわざ通うのは雑誌で見掛けた新作ゲームがすぐに導入されるからでした。
ゲーム制作会社直営店でなければすぐに導入されない新作ゲームの数々が、なぜかこの店に来ればすぐにプレイできるとあって、地域の青少年がたくさん集まる人気店でした。

ただ、当時はあまり気にもならなかったものの、今考えてみると、このお店には大きな問題がありました。それは、このゲーセンを経営しているのが反社会勢力らしき方々だったのです。
このゲームセンターの店員さんは4名が交代で常駐しているのですが、その4名の誰もが吉本新喜劇に出てきそうな、見ればすぐそれと分かる格好をしておりました。地肌には華やかな模様がもれなく施されていて、特に半袖の季節になると、洗い流せない色鮮やかなボディペイントは無言の圧力となりました。
また、アーケードスティックを指さし、「俺は指が足らないからうまく握れないんだ」と、こちらがどう応答すればいいのか戸惑うようなことを気さくに話す方々でもありました。

ここの店員さんたちが、ごくごく平凡な一般人ではないことを子供心にも理解していました。かといって、そういった方たちがなにか危害を加えてくるかというとそんなことは一切なく、このゲームセンターには、むしろ青少年を変な道へ踏み外させないようにする、妙な教育的側面がありました。
店内の壁の至る所に青少年を非行へと走らせないようにするためなのか、色々な張り紙や殴り書きが至る所にありました。『シンナー絶対禁止!!ガソリンやペンキも吸うな!』や『たばこ・酒は大いに結構!でもシンナーだけはダメだ!!!』など、むしろ供給する側に思える方々が発する言葉だけに、とても信ぴょう性が増して心に響くものでした。
他にも、『店の周辺で恐喝した奴は間違いなく痛い目に遭う』とか、『店内外での暴力行為はタダでは帰さない』や『迷惑行為を見掛けたら即店員へ。その場ですぐに片を付けます』といった殴り書きが至る所に貼られ、ただの貼り紙がこれほど大きな抑止力を持つことはそうそうないように思えました。

店の見た目だけ見れば、危険な人物がいくらでも集まりそうな空気だったのですが、当時のゲーセンとしては奇跡的なくらい治安が良く、私のような草食動物タイプの中学生でも安心して遊べる空間でした。しかも新作ゲームが1プレイ50円と安いことも相まって、店はいつも賑わっておりました。
おそらく、そういった方々が経営していたからこそ、新作アーケードゲームをどんどん導入できるルートも持っていたのでしょう。
ただ、そういう店だからこそ巻き込まれる事件もありました。当時は抗争事件が珍しくない時代で、この優良ゲーセンにもその余波が及んだのです。

ある日、夕方のテレビニュースを眺めていると、見慣れたあのゲーセンが映し出されました。ルパン三世のオープニングのように穴の開いたガラスの引き戸の前にレポーターが立ち、抗争事件で銃弾が撃ち込まれたと報じていました。事件は営業時間外だったため、被害はガラス扉だけだったものの、翌日の朝刊の片隅にも写真付きで記事が出ておりました。
学校に行くと校内が事件の話題で持ちきりで、私が通っていた最底辺の公立校では、事件のことよりも、行きつけのゲーセンがニュースで報じられたことを、どこか誇らしく受け止めている人間ばかりでした。
まるで有名人や芸能人が来たかのようなノリで、誰もが「放課後に撃たれたガラスを見に行こうぜ」と言い、普段ゲーセンになど行かない女の子たちまで、「ニュースに出てた割れたガラスが見たいから連れてって」と言い出します。
「じゃあ、みんなで見学ツアーに行こう」と話がまとまり、もちろん私もいち早く現場を見たい一人だったのでそのツアーに参加し、放課後に総勢30人ほどでゲーセンへ向かいました。

遠足のようなノリでワイワイと、いつものゲーセンへ向かうと、店先は見慣れた風景とはまるで違いました。同じような年代の連中に加え、普段こんな場所には来そうもない主婦らしき人まで、ゲーセンの店先とは思えないほどの大勢の人々が集まっていたのです。
そこにいる誰もが、ただ撃ち込まれたガラスを見たいだけの野次馬であり、そんな人々を排除しようと、警察が出動して規制線を張る事態にまでなっておりました。
私の通う学校だけがバカだと思いきや、この周辺地域の人間も同様の野次馬根性で行動をしており、その中にどこかで見たことがある中年女性がいるなと思ったら、私の母親でした。その瞬間、「ああ、親子でなんてバカなことをしているんだろう」と一気に目が覚めた記憶があります。

このゲームセンターは事件で注目を集め、しばらくの間はかえって客が増えて大繁盛となりました。
しかし、銃撃事件が起きたという事実は、周辺住民の恐怖感を消すことができず、やがて排除の動きや反対運動が強まっていきました。私たちのような従来の利用者も、おいそれとは入れない雰囲気になってしまい、店は事件から2か月も経たずに閉店してしまいました。
地域性もあったのでしょうが、あの頃のゲームセンターは、力のない者から力づくですべてを強奪しようとする人間が大勢出入りしておりました。けれども、あのゲーセンだけは経営陣の無言の圧力があったからこそ、異常なまでに秩序が保たれていました。
今思えば、いびつな地域のいびつな考え方なのでしょうが、優良ではない方々が経営していた優良店のゲームセンターの閉店は、中学生だった私にとっておそらく生まれて初めての喪失感でした。
今回の話に近いものが下に二つあります
