GearBest興亡史:「Flash Sale」の幻想と、ROM焼き終焉が招いた没落

今から遡ること10年前の2016年、この時から中国通販が割と身近になっていったように私は思うのです。その大きな要因は、中国の深圳で次々に開発されたスマートフォンです。AppleやSamsungの最新モデルを彷彿とさせるデザイン、なによりも常識を覆すような破格の価格で販売されるスマートフォンは、一部の人々を熱狂させました。

そのスマートフォンを購入するため、私はAliExpressのガジェットセールを利用し始めたのですが、当時、AliExpressよりもこの手の世界では非常に有名だったのが、GearBest(ギアベスト) というガジェット専門のECサイトでした。

「Flash Sale(特価セール)」のバナーやたらと踊っているこのECサイトは、破格値で販売されている商品が秒単位で次々と売り切れていくのです。その光景を目の当たりにした人間もその気になってしまい、買うから売れる、売れるから買うの好循環が繰り返されるECサイトでした。

ところが、その熱狂の裏側には、ビジネスモデルの構造的な欠陥と、購入したユーザーに強いられた過酷な儀式が潜んでいました。そして、ある技術的な転換点を境に、GearBestという巨大サイトは急速に崩壊し、姿を消していったのです。

GearBestは2013年、中国深圳を拠点に、海外向けガジェットECサイトとしてスタートしました。彼らの販売戦略は、中国国内の卸値で仕入れた商品を、並行輸入を活用して海外に直送し、圧倒的な低価格で提供するというものでした。

特に2016年、当時の最高峰だったSnapdragon 820を搭載したXiaomi Mi5を2万円以下で販売し始めた頃、GearBestは熱狂の頂点にいました。

10万件超える注文が世界中から殺到し、タブレットにノートPC、ドローンや3Dプリンターなど、当時の「最新中華ガジェット」を求める人々にとって、GearBestはまさに聖地でした。

また、GearBestが支持された理由の一つが「Flash Sale」です。限定数、限定時間、カウントダウンとともに価格が変動し、購入ボタンを押した時の何とも言えない興奮は人々を魅了しました。

ところが、このFlash Saleには、ユーザーには知らされない残酷な真実が隠されていました。それは、「在庫のない商品を先行販売し、集まった資金で仕入れる自転車操業」 というビジネスモデルでした。私たちのあの高揚感の実態は、見えないリスクをただただ背負わされていただけだったのです。

GearBestのFlash Saleの全てとは言いませんが、実際には倉庫に在庫が一つもない状態で販売を開始することが多々あったと言います。そして、注文と共に代金を集めると、その資金を元手に中国のメーカーから商品を調達します。もし仕入れが間に合わなければ、「Out of Stock(在庫切れ)」のメールを送り、一方的にキャンセルしてくることもしばしばでした。

また、タチが悪いのは注文から1ヶ月、2ヶ月経っても発送されず、催促のメールを送ってもカスタマーサポートからは「待ってほしい」「倉庫の都合だ」というテンプレートの返信が返ってくるだけなのです。

当時のユーザーはまさか自転車操業をしているなんて思わず、なぜ荷物が発送されないのか、いつになったら届くのかと、イライラする日々でした。

こうしたトラブルが頻発した結果、当時のGearBestユーザーの間で、「GearBestで買うなら、PayPal以外では決済しない」という鉄則も生まれました。

クレジットカード決済の場合、商品が届かなくてもカスタマーは返金を渋り、時間を引き延ばすのが常套手段でした。そのため、ユーザーはカスタマーを一切信用せず、トラブル時に強制返金権限を持つ「PayPalの購入者保護(Buyer Protection)」に頼らざるを得なかったのです。

ユーザーがこういった自衛策を用いて利用しなければならないECサイトは、すでに致命傷を負っているも同然で、崩壊が静かに始まっているサインでもありました。

GearBestで最も売れていたのは間違いなくスマートフォンで、XiaomiやLeEcoなどハイスペックなのにどれも2万~3万円も出せば買えました。

ただし、当時の中華スマホには重大な欠点がありました。中国国内版のスマホやタブレットには、そもそもGoogle Playサービスが一切含まれていなかったのです。

GearBestは中国国内の商品を海外へ販売するため、中国国内版スマホをユーザーにそのまま発送すると、使用不能のスマホを送り付けることになります。ですので、GearBestがスマホに加工を施し、Google Playなどを使えるようにした「グローバル版」と称して販売していました。

この加工は「ストアROM(店舗書き換え版ファームウェア)」 と呼ばれていましたが、ストアROMには重大な欠陥がありました。不要なアプリのプリインストールされているだけでなく、バックグラウンドでデータを送信するマルウェア(トロイの木馬)が仕込まれているケースが多発したのです。

高性能だけでなく、美しい外見に惹かれて買ったスマホなのに、怪しい広告やサイトへの誘導が頻発しました。そこで、スペック通りの動作にならないのを解消するため、当時の中華スマホユーザーたちが行ったのがROM焼きです。

主に4pda.ruなど、ロシアのガジェットフォーラムでマルウェアを除去したカスタムROMを探し出し、どこの誰が作ったのか分からないROMを信用してスマホに焼き直す(フラッシュする)しか、その端末を使い続ける方法がなかったのです。

ところが、ブートローダーを解除し、ADBコマンドを打ち込み、文鎮化(brick)のリスクと隣り合わせでファームウェアを焼き込み、無事に起動した瞬間、安堵と達成感は他に代えがたい喜びをもたらすのです。ただ拾ってきたROMを焼くだけの作業なのに、この「ROM焼き」というハッカー的な儀式こそが、当時のGearBestを支えている柱だったと私は考えます。

GearBestの自転車操業はついに破綻を迎えます。発送遅延の常態化、一方的なキャンセルが日常化し、カスタマーサポートは機能不全に陥りました。注文をしていたユーザーは、PayPalやクレジットカード会社に、当然、チャージバック(強制返金請求)を行いますが、GearBestは返金に応じず、決済会社との間で泥沼の争いが繰り広げられました。

金の切れ目が縁の切れ目とはよくできた言葉でして、ユーザーは返金に応じないGearBestを信用しなくなります。そして、ついに致命傷に至る出来事が起こります。返金トラブルの多発により、PayPalや主要なクレジットカード会社が「リスクが高すぎる」としてGearBestとの取引を制限・停止したのです。これで事実上の決済手段を奪われたGearBestは、新しい顧客を獲得する手段を失い、急速に崩壊していきました。

ただし、GearBest没落は決済方法の停止だけでなく、もう一つあると私は考えます。それは「ストアROMとROM焼きの終焉」が痛恨の一撃になったと思うのです。

2017年以降、Xiaomiは公式グローバルROMの提供を開始。正式にGoogle Playを搭載し、多言語対応したファームウェアを標準装備しました。また、ブートローダーロックの厳格化を行い、公式のアンロック手続きを経ないと、ROMの書き換えができないように強化。それと、Mi Accountの義務化により、ROMの書き換えにはMi Accountでのログインと申請が必要になりました。

これは、もうロシアから怪しいROMを拾ってくることも、怪しい通信を行うストアROMも必要がなくなったことを意味します。同時に、あのハッカー気取りになれたROM焼き作業も必要なくなったのです。

ドキドキしながらロシアサイトでROMを探す冒険心、初めてブートローダーを起動させるときの緊張感、ADBコマンドをはらはらしながら打ち込む緊迫感、全てが無事に終了しAndroidが起動した瞬間の達成感と感動、ギャンブルで的中した時よりも充実したあの喜びはもう味わえないのです。

ユーザーはもはやROMの書き換えという手間とリスクを負うこともなく、ましてや、いつ発送してくれるかもわからぬGearBestから買う必要がなくなったのです。この出来事を境に、GearBestの本格的な崩壊が加速していったように感じるのです。

2021年頃、GearBestは完全に消え去りました。それからもうかなりの時間が経過しましたが、時々あの雑なテープで開封を閉じた箱や、ロシアサイトのキリル文字をにらめっこしていた日々をたまに思い出します。

決して良い思い出ではないのですが、夢中になっていたことだけは覚えています。今となっては、ROM焼きのなにが面白かったのかと思ってしまうのですが、一つの中華ECサイトがその波とともに静かに消えていったのでした。

次回:1.7万円の爆安PCに挑んだ日々。GearBestとJumperが教えてくれた「ガジェットのロマンと泥沼」

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Q

Q. GearBestはなぜ2016年ごろ熱狂的な人気があったのですか?

A. GearBestが中国深圳の最新ガジェットを圧倒的な低価格で海外へ直送し、とくに2016年ごろはSnapdragon 820搭載のXiaomi Mi5を2万円以下で販売するなど、常識外れの安さで人気を集めていました。さらに、限定数・限定時間のFlash Saleが購買意欲を強く刺激し、熱狂を生んでいました。

Q

Q. GearBestのFlash Saleの問題点は何でしたか?

A. Flash Saleの一部は在庫のない商品を先行販売し、集まった資金で仕入れる自転車操業のような構造でした。そのため、注文後も長期間発送されない、突然在庫切れメールでキャンセルされる、カスタマーサポートが機能しないといった問題が頻発しました。

Q

Q. GearBestのストアROMとは何ですか?

A. 中国国内版スマホにGoogle Playなどを使えるよう加工した、店舗書き換え版ファームウェアのことです。GearBestはこれを「グローバル版」として販売していましたが、不要アプリの追加や、場合によってはマルウェアの混入といった重大な問題を抱えていました。

Q

Q. なぜGearBestユーザーはROM焼きをしていたのですか?

A. ストアROMにより動作不良や怪しい通信、広告表示などの問題が起きるため、ユーザーはマルウェアを除去したカスタムROMを探して焼き直す必要がありました。4pda.ruのようなロシア系フォーラムからROMを探し、ブートローダー解除やADB操作を行うROM焼きが、当時の中華スマホ利用の一部になっていました。

Q

Q. GearBestはなぜ消えていったのですか?

A. 発送遅延や返金トラブルの多発でユーザーの信用を失い、さらにPayPalや主要クレジットカード会社が高リスクと判断して取引を制限・停止したことが致命傷になりました。加えて、Xiaomiが公式グローバルROMを提供し始め、ROM焼きという儀式そのものの需要が消えたことも、GearBestの存在意義を弱めた要因だと思います。