
これは90年代半ばまでの話ですが、私が生まれ育った足立区の地元では、救急車のサイレンが遠くから聞こえると皆そわそわし始めます。
ドップラー効果で音がどんどん大きくなると、誰もがかなり近いことを認識し始め、気の早い人間はサンダルを履き始めます。そして、サイレンの音が止まった瞬間、フライング気味に玄関から飛び出す住民が数人いて、数分もすると救急車を取り囲むほどの住民が集まるのです。
なぜ住民が救急車の音に釣られて飛び出してくるのか?それは、私の地元では、救急車が到着=大イベントだからです。

前の家のじいさんが倒れた時なんてまさにカーニバル。4メートル道路を埋め尽くす住民がそこに集まり、救急車から勝手に担架を運び出して、じいさんを乗せようとします。
救急隊員は当然「触らないで」「邪魔しないで」と注意しますが、そんなことは一切聞き入れず、担架に乗せられたじいさんをまるでお神輿のようにわっしょいわっしょいと担いで、救急車まで運びます。
そして、人込みをようやくかき分け、だいぶ遅れて救急車に乗りこむ隊員に向かって、「てめえ、殺したら承知しねえぞ」「なにかあったら、消防署に火を点けるからな」と住民たちが怒鳴るのです。じいさんを助けたいのか、ただ騒ぎたいのか分からないのですが、本人たちはいたって大真面目なのです。

それともう一つ、この町では救急車が来ると、本人の容体より先に、その後の段取りを考える住民が現れます。
このじいさんの時も、気の早い住民が町会長に電話をかけ、町民会館が使えるかどうかを確認し始めます。なにに使うのかといえば、もちろんお葬式です。
実際、足を骨折して救急車を呼んだだけなのに、高齢だったことで町民会館をすぐに予約された人がいました。骨は折れていても、それが致命傷になってもいないし、その家族でもない周囲の人間だけが先に死後の手配を進めてしまうのです。

似たようなことは一度や二度ではありません。
同級生が交通事故で車にはねられた時、私のところに回ってきた話では、もう顔の見分けもつかないほどの有様で即死ということになっていました。ところが、わが町の伝言ゲームは盛り過ぎる癖があって、話を大騒動にしたい連中が歪曲するため、この時も、同級生は手を骨折しただけでした。
その話を耳にした町内の葬儀屋は、火葬場までしっかり抑えていたというのですから、死というものに対し、堪えることができない習性がこの町に根付いていることを改めて知りました。

こういう話をすると、盛り過ぎていると思われるでしょう。しかし、これは私が生まれ育ち、生活していた90年代半ばまで本当にあったのです。
足立区とはいえ東京23区内、地方から見れば都心だと思われる地域ですが、私の育った地域はまさに村のような体裁だったのです。
まだ実家がありますので現状を聞いてみると、さすがにこのようなことはなくなったようですが、救急車のサイレンが近くで止まると、うちの親はやっぱり出て行ってどこのお宅かだけは確認するみたいで、染みついた習性は消えないようです。

最上級な誉め言葉ならば、人情があった町と言えるかもしれませんが、実は人の不幸を祭りにしたい欲求を誰でも持っていて、不幸を理由にみんなが集まり、口を出し、手を出し、ついには葬式の段取りまで始めてしまう悪ノリ体質が私の地元にはかつてありました。
今思い返しても、あの町は人に冷たい場所ではなかったのですが、人情に厚い下町という表現が違うことだけは間違いありません。
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