先日、インターネットニュースを眺めていると、片隅の記事に『未だに古新聞を持ってこいとの指示が学校からある』と書かれており、今の世の中、古新聞の入手はなかなか難しく、持っていなければ買って用意するようにとのお達しがあったりするとのこと。
もう何年も前にもなりますが、私の知り合いの子供が小学生の頃、これと全く同じことを私に言ってきたことを思い出します。
21世紀が始まった頃くらいまではどこの家庭も新聞を取っているのが当たり前でしたが、インターネットの発達とともに新聞を取る家庭がどんどん減っていき、新聞を取っていなければ、古新聞を持ってこいとのミッションを遂行するのはなかなか難しくなります。
私の知り合いも古新聞をどうにか入手しようと私に尋ねてきたのですが、当時の私は競馬が生きがいで、日々東京スポーツを購入して欠かさずに熟読してましたから、快く東スポの古新聞をまとめて手渡すと、『こんな新聞じゃダメ、お話にならない』と突き返されました。
なんでも、各家庭が学校に持っていく新聞というものは、その銘柄によって家庭の状況が把握できてしまう性質らしく、裏面の目立つ場所に4コマ漫画の「みこすり半劇場」が見えるような新聞は最下層に分類されてしまう懸念があるために絶対に却下であり、朝刊のスポーツ紙であってもできれば避けたいと言います。
じゃあ、なにを持って行かせるのが正解かというと日本経済新聞であり、続いて四大紙ならばまあOK、一方、アダルト面が掲載されている駅売りのスポーツ紙はもっての外で、宗教的や政治的な新聞も持って行かせるわけにはいかないと、たかが古新聞ごときに細かなカーストが存在するかのようなことを言いました。
確かに、用意した古新聞が競艇の専門誌・ファイティングボートガイドだったり、競輪の専門誌・アオケイだったりすると、それだけで酷い保護者のように思われる気もしないでもないのですが、だからといって、日経ならば無難でOKというのもなにか腑に落ちません。
だったら、いっそのこと新聞紙の紙質はそのままでなにも書いてない無地の新聞紙ならば、家庭の状況から主義主張思想などが一切悟られることがなくて最も無難なのでは?と、アマゾンで売られていた、まっさらの無地の新聞紙をなにも関係のない私が購入し、知り合いの子供へ持たせた記憶があります。
この無地の新聞紙は現在10kg2450円で販売されておりますが、これが結構使い道があって、印刷前のまっさらな紙ですから、何かを包んだり梱包材にも使えて便利で、朝刊紙のお値段が1部150円くらいで重さが40gくらいだとすると、10kg分は250部にもなるのでお値段的にも2450円はまあフェアバリューのように思えます。
古新聞は資源ごみか廃品回収に出すだけのものですが、新聞を各家庭で取ってなければ入手するのはなかなか面倒であり、それでいて銘柄にも気遣わなければならないのならば、無地の新聞紙を買っておくのは十分にあり、というお話でした。