備えがあるからこそ憂うこともある今回の台風の備えの話

この夏の日本は、暑さだけでなく、地震やら台風やらとちょっとした災害が頻発しておりますが、これらは人間の力で阻止することが絶対にできず、太古の昔よりただ受け入れるだけしかありませんでした。

ただし、科学の進歩によりそれらを予測することが、完璧ではありませんができるようになったので、ある程度の備えをできるようになりました。

地震や台風の被害で命を落とすこともありますが、多くの人々に多大な被害をもたらすのは、電気・ガス・水道の供給ができなくなってしまったり、食料の供給が滞ってしまったりすることです。

肉体的な被害はなくとも、生活のインフラがダメになってしまえばそれが命取りになる可能性だってあるわけですから、そうなった場合の備えは重要で、お国も推奨しております。

そして、この夏は地震があってすぐに巨大な台風が接近する出来事が立て続けにありまして、いざという時の備えを行っている方は相当にいらっしゃると思われ、私も最低限の水と食料の準備をしておりました。

台風が翌日に近づくと報じられている夜半の事、私の知り合いから電話が掛かってきまして、『今日スーパーに行って台風の準備で米や水を買いに行ったんだけど、麦とジュース類しか売ってないの』と言いましたので、私は「万が一の時はジュースで麦を炊けば万事解決だね」と言って電話を切ろうとすると、とんでもない怒鳴り声で『あんたの米と水を分けなさいよ』と言われました。

困ったときはお互い様だとの精神を私は持っているつもりで、イソップ童話の『アリとキリギリス』とは違い、私の米と水を知り合いに分け与えてあげようとは思いますが、台風が接近する前の日の晩に食料や水が買えないからおまえのをよこせという言葉はなにか腑に落ちません。

結局のところ、童話の世界ではキリギリスを見殺しにしますが、リアルな生活の中で見殺せば後々とんでもなく非難されるわけで、備える者よりも備えないものの方が強者になってしまっているような気がします。

今回の台風も目に見えるような大きな被害はなく、備える必要が結果的になかったのですが、備えているからこそなにか嫌な気分にもさせられ、『備えあれば憂いなし』のことわざは少し違ってきているように思えた、台風の備えのお話でした。