
先日、私の元へ、何が原因だか分からずに突然消滅してしまった以前のブログで書いた、足立区のゲーセンで起きた切ない出来事の話がもう一度読みたい、との連絡がありまして、今回はその文章を掲載させていただきます。
いつもとは違って少し長めの文章となっておりますが、当時はなぜかアクセスが万単位で急増して、前向きなご意見をかなり頂き、書いた本人がいちばんびっくりした記憶がございまして、駄文とはわかりつつも、暇で暇でしょうがない時の暇つぶしでお読みいただけたら幸いです。
では、今から7年ほど前に書かせていただいた、ゲーセンでの切ない話をご覧くださいませ。

しばらくぶりに実家へ帰り、現在は物置と化している私の部屋のどこかに埋もれた、とある書籍を発掘しようと探し回りましたが見つけられません。
捜索していないのはもう20年以上開けていない学習机の引き出しだけとなり、金品を探す空き巣のように隈なく調べていると、奥に挟まった茶色く変色した折り紙くらいの大きさのノートの切れ端を見つけました。
その紙切れは変色がかなり進んでいて全く判読できない個所もありましたが、昭和末期の女の子が好んで使っていた丸文字で書かれた挨拶程度の他愛もない言葉とともに、『またゲームセンターに行こうね』との一文だけをなんとか読み取ることができました。
手紙というよりもお礼状の類にしか見えないノートのきれっぱしをなぜに机の奥底へ仕舞っていたのかと考えてみると、当時の記憶とともに、淡い思い出と苦い思い出の両方が蘇ってまいりました。

あれは今からもう30年以上前、私が小学校6年生の頃まで遡る遠い遠い昔の出来事です。
3か月に1回くらいの割合で行われる教室の席替えで、同じクラスながら一度も話したことのない、クラスの中では全く目立たない、草食動物タイプで普通を絵に書いたような大人しい女の子と机を並べることになりました。
私自身は、異性に対して思春期特有の照れを過剰に持ち合わせていた時期なのが大いに関係し、こちらから彼女に話しかける事なんてあり得ず、彼女の方も得体の知れない男には何も興味がないからなのか、席が隣同士だというのに、なんのとっかかりもなく一言の会話もない二人でした。
しかし、ふとしたことがきっかけで、彼女はファミコンでゲームをすることがなによりの趣味だと分かってからは、ゲームの話を中心に頻繁に話すようになり、二人の机の間に大きく立ち塞がっていた垣根が一気に消え去りました。
話をする中で、彼女はシューティングゲームが好みだと分かり、かたや私はアクションゲームが好きだったので、お互いの所有しているファミコンソフトが被っていなかった事もあって自然とファミコンのソフトの貸し借りが始まり、ゲームの攻略法やら裏技的なテクニックなどを教えあうゲーム仲間のような関係になっていきました。

当時の私はファミコンの他にもゲームセンターや駄菓子屋の一角に設置されているアーケードゲームにどっぷりハマっており、放課後は毎日の様に友人たちとアーケードゲームに勤しむ日々でした。
あの頃のアーケードゲームとファミコンにはグラフィックとサウンドに雲泥の差がありましたから、一度アーケードゲームをプレイしてしまうと、少ないお小遣いの中でもアーケードゲームで遊びたい衝動は抑えられませんし、当時のゲーセンの雰囲気はアンダーグラウンドな世界に踏み込んでいる気がして、ちょっぴり大人になれたような勘違いができるために、お金がある時は足しげくゲーセンに通っていました。
ファミコンの話の延長で、隣の席の彼女にもそんなゲーセンでの出来事やアーケードゲームの話をしていると、ゲーム好きの血が騒ぐのか、彼女もゲーセンに行きたいと言いました。
UFOキャッチャーもプリクラもまだ存在していない、無骨感丸出しの昭和のゲーセンですから、女の子がゲーセンにいること自体が全くなく、いらっしゃるのはレディースのおねえさん、もしくはヤンキー男に付随する品のない女性しか存在しない環境ですので、純粋にアーケードゲームがしたい真面目な小学生の女の子が当時のゲーセンに入店することは、とんでもなく高いハードルがありました。
シューティングゲーム好きな彼女は、ファミコン版ではないナムコの『ゼビウス』やハドソンではなくアーケード版のテーカンの『スターフォース』、ファミコン版でも出来の良かったコナミの『ツインビー』のアーケード版をプレイしたいと言いました。
また、当時の私がグラフィックと音源の良さにド肝を抜かれていたコナミの『グラディウス』(ファミコン版は翌年の発売)の話を彼女によくしていたからなのか、『グラディウスというゲームを是非、プレイしたい』と言い、続けて、彼女はより小さくささやくような声で『もしゲームセンターに連れて行ってくれるなら、みんなには内緒で二人だけで行きたい』と少し照れたような素振りを見せながら言いました。

女の子から二人だけでゲーセンへ行きたいと言われれば、頭も感覚も飛び切り鈍かった小学生の私でもなにかを意識してしまうのですが、こんなに面白くて素晴らしいアーケードゲームを知らない事こそがゲーム好きには不幸なことだから彼女にも思う存分に遊ばせてあげたい、との思いの方が強く、彼女をゲーセンに連れて行かなければという、変な使命感の方が大きかったように思います。
ならば、すぐに行こうと、その日の放課後、早速二人でゲーセンに行く事になったものの、ゲーセンは私たちの地元から少し離れていて、徒歩で行くには遠すぎるため普段は自転車で行くのですが、彼女は自転車に乗れないと言うので、私の自転車に二人乗りをしてゲームセンターへ行く事になりました。
ただ、クラスメイトや私のゲーセン仲間たちに彼女と二人でいるところをに見られるのはなにか気恥ずかしさがありますし、そもそも彼女が望む内緒にはならなくなるので、二人は町はずれにある目立たない小さな公園で待ち合わせをし、自転車の後輪に付けた二人乗り用のハブステップに立ち上がる彼女の両手を私の肩に掴ませて、二人乗りでゲーセンに向かいます。
普段から行きつけのゲーセンでは仲間たちと鉢合わせしそうなので、地元から少しだけ離れた繁華街に近いゲームセンターへペダルを漕ぎ始めたものの、お互いの距離感がいつもと違って異常に近い事に二人とも同時に気付いてしまったようで、ゲーセンまでの道すがら、二人はただただ押し黙ったままなので行き慣れた道がとても長く感じました。
そんな気まずい雰囲気の中なのに、時折、風向きによってなびいてくる彼女の髪の毛の香りがやけに心地よく、私の肩に優しく添えられている彼女の手のひらの感触は、いつも二人乗りをしているヤロウのものとは全然違い、今まで感じた事のない温かい感覚は私を別の緊張感で包み込みました。

ゲーセンに着くと彼女は初めて味わうゲーセン独特の雰囲気に少し戸惑っておりましたが、念願のグラディウスやスターフォースをプレイしてとても満足そうでした。
ツインビーは同時プレイのゲームなので二人並んでプレイしましたが、肩を並べる距離感が教室の机とは全く違いますし、ウインビーを操る私の左手と、ツインビーから発射される弾を連打している彼女の右手が時折、触れ合うのが気恥ずかしいやら嬉しいやらとの複雑な思いがぐるぐる巡っておりました。
その後、カプコンの戦場の狼でアーケードゲームでも無限増殖ができる事を彼女に実証して、十分に残機を増やして1コインで永遠に遊ぶ迷惑行為を行ったりしつつ、タバコの煙が立ち込めるうるさいゲーセンの店内で二人はおしゃべりをして楽しい時間が過ぎていきました。

かれこれ、ゲーセンには3時間位いたでしょうか、ちょうどその時は寒い冬が始まる頃で暗くなるのが早く、日暮れ前に帰路につこうと、来た道を二人乗りで走り出すと、冷たく強い北風が否応なしに吹き抜けるとても寒い夕方でした。
ゲーセンに向かう時とは一変して、帰り道は自転車を漕ぐ私の後ろでハブステップに立ち上がる彼女と色々な話をし、ゲームの事や学校での出来事など、内容なんて空っぽの話なのに彼女と話しているだけでとても楽しい時間でした。
行きはうんざりするほど長く感じた道のりが、帰りはワープしたのかというくらいあっという間に地元へ近づき、二人だけの時間はもうあと僅かです。

すっかり日も沈み、辺りは夜のように暗くなってあと数百メートルで待ち合わせをした公園に到着する直前に、人影が全くない場所へ差し掛かりました。
すると、彼女は不意に『私のために連れていってくれてありがとう』と、いつもと違う、なにか大人びた声でささやいた後、彼女の両腕は私の首に巻き付き、私の背中におぶさる形で彼女の体は私に身を委ねているようで、さらに私の後頭部に彼女の額がぴったりとくっついて、首筋には彼女の優しい吐息の温かさを感じます。
大人しくて真面目でゲーム好きだとしか思っていなかった彼女の行動の真意がどういったことなのかを鈍い私にもおぼろげながら理解できましたが、このアクションに面食らったバカな私は、彼女に対してなんの返答もできず、リアクションも起こせず、彼女の気持ちに答える甘い言葉の一つも投げかけられず、ただただ、前を向いてひたすらペダルを漕ぐことしかできませんでした。
翌日以降も背中に感じた彼女の温かさと会話の楽しさが忘れられませんでしたが、多人数の教室内では思春期特有の照れがあり、なによりも私は異性に対して相当な臆病者だったので、それから先はなにも起きず、なにも起こす事もできずに卒業と相成り、中学校はお互いに学区が違った関係で別々の学校に通うことになって、それからはもう会う事も電話をする事もなく、ゲームがきっかけとなった彼女との関係は静かに終焉を迎え、幼少の頃の淡い思い出だけが残りました。

時はそれから4年ほど経過して私が高校に通っていた頃、帰宅前に行きつけのゲーセンに立ち寄ってみると、金髪頭で顔を何層にもわたって塗り固めた化粧を施し、ショッキングピンクのスウェットと、どこの国の言葉なのか分からない金色のアルファベットが入ったピンクと黒のド派手なトレーナーを着用し、足を踏まれたら間違いなく骨折は免れない高くて細いヒールの昭和のキャバサンを履きつつ、筐体に放り投げられたセブンスターをふかしながら『グラディウスII -GOFERの野望-』に興じる、見るからにガラの悪い女性がおりました。
私は東京の足立区という地域で生まれ育ったのですが、こういった女性は当時の足立区内のどの地域にも多く生息していた量産型女性の風体でしたので、別段、何も気にもならず、私は女性の隣で稼働する『源平討魔伝』をプレイし始めました。
しばらくすると、なにかちらちらと隣の量産型女性が私の方を見ているような感覚がありましたが、気のせいだろうと私はゲームに集中し、かれこれ10分ほど経った頃、その女性が私に声を掛けてきました。
昭和の時代のゲーセンで赤の他人から声を掛けられるという事象は、高確率で恐喝のターゲットになっているという事ですので、やや身構えながら振り向くと、『久しぶり』と、こちらが全く想像していなかった言葉を投げかけられるも、この女性を私は全く存じ上げません。
となれば、見知らぬヤンキー女からゲーセンで声を掛けられたことになり、これは恐喝ではなく、超高確率で『美人局』に違いないと、私はさらに身構えつつ、このガラの悪い娘を裏で操っているであろうヤンキー男の存在をきょろきょろと探していると、その女性が『私の事、忘れたの?』とタバコの煙を吐きながら問いかけてきました。
そう言われて改めて至近距離でお顔を拝見しましたが、目の前にいるのは原形を想像することが困難なほどに厚化粧を施したガラの悪そうな風体の女性であり、私には全く思い当たる節がないため、恐る恐る『誰かと人違いでは?』と逆に問いただすと、『なんで私のことが分からないの?』と少しイライラした口調で彼女は言い、続けざまに本人が口にした名前を聞かされようやく気付きました。
今、私の目の前の足立区には掃いて捨てるほど存在する量産型ヤンキー女は、たった数年前は清楚で可憐で大人しい草食動物タイプだったはずの隣の席のあの彼女が変身した姿でした。
私は彼女の余りの変貌ぶりにもうびっくりして、源平討魔伝なんぞそっちのけで少し放心状態になってしまい、久しぶりに会った彼女になにも言えず、返答する言葉すら何も出てきません。あの日、可憐だった彼女が二人乗りの自転車の後ろから優しく抱きしめてきた時と同じように。

足立区の10代の女の子がなにかの拍子でドロップアウトしたり、深みにハマると、短期間で悪い方向へ豹変する事例は珍しくありませんが、よりによってあの真面目だった彼女が180度真逆に転換しているなんて夢にも思わず、『百年の恋も冷める』という慣用句が本当に存在することを10代中盤でもう理解してしまいました。
たったの4年前、私と自転車に二人乗りして、しなやかで繊細な手のひらでためらいがちに私の肩を優しく掴み、寒い北風の中、私の背中で糸より細い声でささやいていた彼女。
それが今、目の前で起こっている光景は、井戸端会議のおばちゃんのように人の肩を遠慮なしにバンバン叩きながら、たばこで喉がかすれるのか、時折、ゴホゴホと咳をしながらだみ声で話しかけてはポッカの缶コーヒーで喉を潤しつつ、吸い終わったセブンスターを消したら、すぐにもう一本に火を点けて、煙を吐き出しながら一方的に大声で話してきます。

この4年で彼女になにが起きたのかを聞きたい気分にもならないくらい、私のショックは大きかったので、いつまで続くのか分からない会話を強引に遮って帰ろうとすると、『あの時みたいにニケツで帰ろう。私の原チャに乗せてあげる』と、足立区のヤンキーにやたらと大人気だった中古のクレージュタクトに跨り、私を原付の後ろへ乗せようとします。
このような風体の女性が運転し、なおかつ、何やら常用の読み方では意味が全く不明の漢字で書かれたチーム名のステッカーが貼り付いている「クレタク」で二人乗りなんぞしていたら、世間様からどのような好奇な目で見られるのかは想像するに容易いですから、丁重にお断りをして、どうしても乗せようとする彼女を何とかなだめつつ、ノーヘルでセブンスターを咥え、長い金髪をなびかせて走り出す彼女を見送りました。

私の思い出の中では、突然、私を後ろから優しく抱きしめてきた清楚で可憐で愛くるしく大人しい草食動物タイプだった彼女の残像は、この日を境に私の背中に突然張り付いた子泣き爺に変わり、ツインビーの同時プレイで触れ合った優しい手の感触は、汚物まみれの分厚いラバー付軍手の感触に入れ替わりました。
この件がきっかけで過去に出会って知っている人間でも、今現在は会っていない人間と久しぶりに会う行為を極力避けるようになり、同窓会の類には絶対参加しないと心に決めました。
思い出に浸っていたいわけではありませんが、いい事でも悪い事であっても、あまりにも衝撃が強過ぎると、人間は本当に言葉を失い、記憶が悪いように書き換わってしまって、甘く切ない思い出であっても苦く忘れたいどうでもいい記憶に変わってしまうのが人間の本質だと理解したゲーセンでの出来事でした。