お正月に身近な人間たちと麻雀を打ったらえらく気を使った接待麻雀になった話

『お正月といえば?』という問いの答えは色々思い浮かぶのですが、昭和の時代と令和の現代では明らかに違うものが多いような気がします。

例えば、年配層の方に尋ねると『お餅』と答える方が大勢いらっしゃるものの、それは遥か昔はお餅がお正月にしか流通していなかったことが要因であり、スーパーへ行けば年中買える現在ではお餅がお正月の象徴にはなり得ない気もします。

お正月だからこそ、というものが以前よりも全体的に薄れている気がする現代ですが、私にとってのお正月とは麻雀が真っ先に思い浮かびます。

昭和の時代、お正月になると親戚一同が集まる風景は割と一般的で、私の実家も親族親戚が多く集まって皆で麻雀を行うのがお正月の風習でして、私も5歳になった時から分からないながらも麻雀を打たされ、九九を覚える前に点数計算ができるようにもなって、今でも計算は苦手ですが数字の単位に点を付けるとしっくりいくのはこの頃の情操教育のおかげかもしれません。

麻雀は最低でも4人が必要なゲームであり、我が家に麻雀ができる人間が4人以上集まること自体がお正月だけでしたので、特に幼少期の頃の私は麻雀はお正月にしかできないゲームだと思っておりました。

そんな話を私の知り合いに話したところ、『じゃあ、私の子供にも麻雀を教えてあげて』と言われたのが昨年末の事。

なにをもっての接続詞『じゃあ』なのかがよく分かりませんが、知り合いの子供は麻雀自体はゲームで覚えたものの、対人で行う麻雀はやったことがなく、是非、4人の人間を相手に麻雀をしたいと言っているとのこと。

しかし、麻雀は先程も申し上げましたように4人が集まらないと全然面白くなく、だからこそ、現在ではいつでもどこでも人を集める必要のない麻雀ゲームが主流になっており、色々と忙しい現代で暇な上に麻雀を打てる人間を集めるのはそう簡単ではありません。

知り合いの子供、私、呼べばすぐ来るだろう私の友人の3人は確保できますが、もう一人が見つからないので、麻雀が全くできないながらも母である私の知り合いをメンツにして、周りが麻雀を教えながら打っていくことにし、皆が最も暇になるであろうお正月に知り合い宅にて麻雀を行うことになりました。

麻雀ができない人間をメンツにする際の教え方は、おそらく誰もが『同じ牌を2個づつ集めれば良い』というもので、これは教える方の負担が少なくて楽な反面、教えられた方はちっとも面白くなく、卓の中で孤立感を深めてすぐに飽きてしまい、そんな中でも奇跡的に上がれれば楽しさに繋がるものの、なかなか上がることはできません。

また、何も知らないために危険牌をどんどん捨ててしまうため、他の3人が手加減しないと一人負けになってつまらなさは最高潮に達してしまうのですが、知り合いの子供に忖度という言葉はまだ存在していないようで自分の母からどんどん上がってしまい、その度に卓の空気が澱んでいくのが分かり、『もう止めた』の声が出るのも時間の問題です。

ただし、当の子供は非常に上機嫌であり、大人たちの気苦労をよそに『麻雀はゲームじゃなく、人間同士で打った方が断然面白い』と目をキラキラさせながら言うので、私と友人は接待麻雀のように知り合いの子供へ放銃させつつ、知り合いをたえずなだめ、フォローしながら麻雀を打ち続け、なんとか大事にならずに終了しました。

正月早々にやたらと気苦労ばかりの麻雀を打ってきたのですが、私が5歳だった頃も周りの大人たちが気を使ってなだめていたわけで、それは一人でもいなくなったら麻雀が途端につまらなくなることに他なりません。

しかし、なにも知らずに麻雀を打たされている知り合いを見ていると、楽しいはずの麻雀がストレスだけを溜め込むものになってしまっており、その影響で楽しさを知っている側の人間も巻き込まれてストレスを抱え、何ともつまらない久しぶりの麻雀をやってきた、というどうでも良い話で2024年はスタートします。

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